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奇しくも良い双子の日でした。そんなつもりは……そんなつもりだったのか……。



 電車に乗り込むと、タイミングを見計らったかのようにぷしゅうと音をたててドアが閉まった。電車はゆっくりと加速していく。外の景色は田園が広がる風景から、ビルや家の立ち並ぶ見たこともない街に変わっていた。きょろきょろと見回してみるけれど、私以外は誰も見当たらない。私を待っている人が乗っているとあの子は言っていた。違う車両だろうか。私は後ろの車両へ続くドアを開けた。
 無人の車両をいくつか進んだところで、座席に座っている人影を見つけた。それは私の予想通り、私と全く同じ鏡音リンの外見をした少女だった。
「こんにちは」
 近付いて、とりあえず挨拶をしてみた。しかし目の前の少女は私に目もくれずに座席に背中を預け、窓硝子に頭を寄せてぼんやりと外の風景を見ていた。自分と同じ顔をしているというのに、その姿には不思議と威厳と気品が漂っていた。
 あの子の話を信じると、目の前の鏡音リンは私を待っていた人物のはずなのだが、この対応は何なのだろう。
 私はどうしていいかわからずに、その場に突っ立ったままひたすらその子の反応を待っていた。しかし彼女はいつまでたってもまるで私が見えていないかのように窓の外を見続けている。痺れを切らし、私は声を大きくして「あの」と呼びかけたがこれもまるで無視。
 さすがに私は憮然として、その子の向かい側の座席にどっかと腰を下ろした。相手がいつまでも私を無視する気なら、私だっていつまでもここに居座ってやる、と半分意地になりながら決意する。ここがどこで、この電車がどこに向かっているかは分からなかったが、今のところ私に時間はたっぷりあるのだ。……多分。
 しばらくは腕を組んで目の前の存在を睨み付けていた。しかし段々それにも疲れてきて、私は座席に背中を凭せ掛け、彼女と同じように窓の外を眺めた。たいして珍しいところも無い、背の高いビルが密集した街。しかしその街の中にも、やはり人影はひとつも見当たらなかった。
 ここに来てからどれくらいの時間が経っているのだろう。時間の感覚が曖昧で、よく分からない。
 赤く染まった街の奥に、地平線に沈みかけた夕日が見えた。もうすぐ夜が来るのだ。
 夜という言葉が頭を過った時、私は初めて言い様の無い不安に襲われた。
 私も、あの子たちみたいに帰れるのだろうか。
 私の世界に。
「あなたは」
 思考に耽っていた私の意識は突然現実に引き戻された。一拍遅れて窓ガラスから視線をはがし、前に向き直った。
 彼女は相変わらず窓の外に視線を向けていた。一瞬私の聞き間違いかと思ったが、確かに声は聞こえた。そしてこの場にいるのは私と、目の前の鏡音リンだけ。ということはやはり、さっきの言葉は彼女のものだ。
 非常に回りくどい思考回路の結果、私はその結論に至る。
辛抱強く、人形のように動かない彼女をじっと見つめた。その唇が微かに動いた。
「え?」
 電車の音で聞こえない。私はもっと声が聞こえるように少し身を乗り出した。
「ごめんなさい、もう一回――――」
「あなたは今、ひとりぼっち?」
 ごおっ、と轟音が響いたと同時に、窓の外が真っ暗になった。トンネルに入ったのだ。同時に、外の景色が真っ暗になった。
胸の中の不安が大きくなる。足元から不安が、這い上がってくる。彼女はそれでも私を見ることは無い。塗り潰されたように黒い窓の外を凝視したまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「私は自分が生まれながらに孤独なのだと思っていた。私は誰を愛すことも無く、そして愛されることも無いまま独り死んでいくのだと、そう信じていた。認めたくはなかったけれど、私はきっと、ずっと寂しかった。それを認めるのが恥ずかしくて、私は自分が初めから孤独なのだと思いこもうとした。だけど、そんなはずは無いのよ。初めから孤独な人間は、自分を孤独だとは思わない。孤独じゃない時を知っているから、孤独だと思えるのよ。私は誰かの掌の温かさを知っていたの。だけどその掌が離れてしまってからは私はその温度を忘れてしまった」
 彼女の言葉はそこで一度途切れた。そして彼女は最初に発した質問をもう一度繰り返した。
「……ねえ。あなたは今、ひとりぼっち?」
 どくん、と心臓が大きく鳴った。
 体が不安と恐怖に蝕まれていくような感覚が私を襲い、苦しさに胸を押さえた。息が乱れる。耳鳴りがする。電車の走る音に紛れて、悲鳴が聞こえてくる。目の前が、赤く染まっていく。どうしてこんなにも赤いんだろう――――赤い――――炎と血だ――――名前を、呼んでいる――――誰かが泣いている――――

 これは誰の記憶だ?

――――あなたは今、ひとりぼっち?

 私は、今、

 その時、微かな声が聞こえた。
 私はぴくりと肩を震わせた。その瞬間私を取り巻いていた声や景色が溶けるように消えていく。
 私は再び、電車の中に戻っていた。顔をあげる。もう、その声は聞こえなかった。感覚が、温度が戻っていく。ゆっくりと呼吸を整えた。
 今の声。
 間違いない。
 間違えるはずがない。
「私は」
 私は大きく深呼吸をした。
「私には家族みたいな存在の仲間がいるの。まずミク姉っていう歌が上手い女の子がいて、よく一緒に買い物に行ったりするんだ。可愛いのにネギが好きだったりちょっぴり変なところもあるけど、でもすっごく優しいの。それとメイコ姉。いっつもお酒飲んでてよく酔っ払ってしょっちゅうみんなに絡んでくるの。それでカイト兄が慌てて止めに入って、結局メイコ姉に頭ぽかぽか叩かれちゃったりして。でもね、2人ともいざという時はとっても頼りがいがあって、みんなを安心させてくれる。あとはルカちゃん。すごーく美人でスタイル抜群で英語も喋れて大人っぽいんだ。でも変なペットを飼ってて、ルカちゃんはそのペットをとっても大事にしてるの。それから……それから、他にもたくさんいて、」
 決壊したように言葉が次々に溢れてくる。ミク姉、メイコ姉、カイト兄、ルカちゃん。色んな人の顔が浮かんできて、私は胸が苦しくなる。なんだか泣きそうになる。
「私、ひとりぼっちじゃないよ。みんな仲良しで、毎日一緒に歌を歌ってるの。だから私、もう寂しくない。みんなが傍に居てくれるから。それに」
 私の、大切な人の顔が浮かんだ。君が居てくれれば私はきっとずっと、毎日を笑って過ごすことが出来る。絶対に失いたくない、私の片割れ。
「約束したから」
 ずっと昔にした約束。不思議なことに、いつ、どんな約束だったかは思い出せない。だけど君と約束したことだけは覚えている。君は、覚えているだろうか。
 私はゆっくりと頭を垂れた。
 会いたかった。
 今すぐに。
 今すぐに。
「私も帰りたい」
 自然と口から言葉が零れていた。
「私も、私の世界に帰りたい。早く帰ってみんなに会いたい。私の大切な人に、会いたいよ」
 電車はまだトンネルの中を走っていた。随分と長いトンネルのようだった。
 私は小さく、名前を呼んだ。
 今一番会いたい人の名前を小さく零した。
「……あなたは、もう独りじゃないのね」
 私は頷く。
「あの子も傍に居るのね」
 私は頷く。
「幸せ、なのね」
「うん」
 私は頷く。
「……時々、泣きたくなるくらいに」
 良かった、という声が聞こえた。私は顔をあげた。彼女は窓ガラスにこつんと頭をぶつけ、瞼を下ろした。そしてもう一度、溜息をつくように良かった、と呟いた。
「お願いしたのよ。もう二度と、繋いだ手を離しませんようにって」
 彼女の瞼がゆっくりとあがり、私と同じ色をした目が現れた。目の前の少女はゆっくりと、初めて私の目を見た。
「そしてその願いが、鏡音リン。あなたなの」
 ごおっという轟音が響いた。トンネルが終わった。窓の向こうには、街の灯りが星のように散らばる夜が広がっていた。
「あなたは独りきりのはずだった。でも、今のあなたがそうじゃないのは、あなたがそうなることを望んだから。あなたが彼の手を離さなかったからなのよ」
 彼女は煌びやかなドレスを身に纏っていた。憂いに満ちたその眼差しはまっすぐに私に注がれていた。
「そのことを、忘れないで」
 重々しい口調だった。
 電車の走る音が少しずつ静かになっていく。どうやら電車が減速しているようだ。頭上から終点を告げるアナウンスが流れて、私は天井のスピーカーを見た。耳に届いたのは聞いたことも無い駅の名前だったが、どこか懐かしい響きを持っていた。
 突然リンは立ち上がった。どうすれば良いのか分からなかったが、私も慌ててそれに倣う。終点ならば、私が降りる場所はそこなのだろうか。
「ねえ、あなたはこれからどこへ行くの?」
「もう分かるでしょう? 私も帰るのよ。私の世界に」
「それじゃあ、あなたも約束があるんだね」
「ええ、そうよ。大切な約束があるの」
 電車が静かに停止した。何の変哲もない駅のホームが見えた。ドアが開く。彼女の世界へと続くドアだ。
「だから、もう行かなくちゃ」
 彼女はこちらに向き直ると、ぎゅっと私を抱きしめた。彼女からはふわりと薔薇の香りがした。
「あなたに会えてよかったわ、リン。きっと忘れてしまうけど、忘れたら何度でも思い出して。……これは命令じゃないわ、約束よ」
「分かった。約束するよ」
「……ありがとう。リン」
 彼女はそっと身を離した。私たちはほんの少し見つめ合った。彼女と共に過ごした時間はとても短かったはずなのに、別れるのがひどく名残惜しかった。
 だけど、帰らなくちゃいけない。待っている人がいるから。会いたい人がいるから。それがどれだけ幸せなことなのかを、この子もきっと知っている。
 彼女は軽やかな足取りで駅のホームに降り立った。そして振り向いて、目を細めた。
「ここでお別れよ。帰り道には気を付けなさい」
 そう言われて私はようやく、自分がどうやって帰るのかを知らないことに気が付いた。慌てて口を開いた瞬間、リンが悪戯っぽい笑みを浮かべて静かに一言。
「……“足元にご注意を”」
 またその台詞だ。
 ドアがゆっくりと閉じていく。私は一歩前に踏み出そうとして、
 闇の中へと落下した。




 落下。
 何かに引き寄せられるようにぐんぐんと黒い世界を落ちていく。叫び声までも闇に溶けて消えていった。足元でぽっかりと口を開ける闇の中へと、ひたすらに落ちていく。 

 どこかの私は病弱な女の子で、
 どこかの私は雪の中で凍えていて、
 どこかの私はある国の王女で、

 いつかの彼は囚人で、
 いつかの彼は泣いていて、
 いつかの彼は忠実な召使で、

 いつだって彼は私の大切な人で、

 音が、映像が、感情が、そこらじゅうに溢れ渦巻いて頭が割れそうに痛くなる。痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い、なんて苦しい!
 じたばたと暴れながら何かを掴もうと必死にもがく。その時、私の耳に再び声が聞こえた。耳朶を打つその声は微かなものだったが、暗闇の中で確かに響いた。それが誰の声かなんて、間違えるはずがない。私は必死に闇の中でもがく。嫌だ。嫌だ、諦めたくない。独りは、孤独は嫌だ。もう離れたくない、離れたくないよ。
 何度も何度も手は離れた。その度に身を引き裂かれるような悲しみを味わった。それでも手を伸ばしたのだ。今度こそ、今度こそ君と幸せに生きていこうと。そのためならば、君と出会うためならば、私は何度でも生まれ変わろうと。
 だからお願い。
 お願いだから。
 頭上にか細い光がともった。光。そうだ光だ。その声は絶望の中にいた私に希望をくれた。無我夢中でその光に手を伸ばす。指先を照らすほどの微かな光だった。だけどそれはとても温かい。
 涙が溢れる。いつだって君に助けられてばかりだ。だから、

 だから今度は、私が君を助けたいと思ったんだよ。

 指先が、光に触れた。世界が光で溢れた。


――――リン。




「レン!」








 ぱち、と目を覚ました。
 午後の柔らかな日差しの中で、さわさわと白いカーテンが風に膨らみ、揺れている。時計を見ると、時刻は3時を過ぎたばかりだった。
 頭がぼんやりしている。私はむっくりと起き上がった。夢を見ていた。どんな夢だったかは詳しく思いだせないけれど、何だか不思議な夢だった気がする。何か大切な――――
「リン!」
 突然ドアが開いたかと思うと必死な形相をしたレンが飛び込んできたので、私はギョッとして息を切らせたレンを見上げた。
「何だっ? どうした?」
「え? え? 何が?」
「何がってお前今……!」
 そこまで言ったところでレンの動きがぴたりと止まった。そして私をじっと見つめてから一気に脱力すると、「寝言かよ……」とその場にへなへなと崩れ落ちた。
「ね、寝言?」
「……気付いてないんですかリンさん。あなた今さっき、それはもう大きな声でオレの名前を呼んだんですよ」
 私は目をぱちぱちと瞬かせた。それからへらっと笑った。
「ごめん。覚えてない……」
「あーあーそうですか。悲鳴みたいな声でオレのこと呼ぶもんだから何事かと思って来てみたら……。まあ何か起こったわけじゃなかったから良いけど……いや、良くないけど……」
 レンはうずくまったままぶつぶつと呟いていたが、急にぱっと顔をあげた。
「なに、オレの夢でもみてたわけ?」
 私は首を傾げる。言われてみると、確かにレンの名前を呼んだのだからレンが出てきたはずだ。しかしどうにもレンが出てきた記憶は無い。ううーんと唸ってみてもやはり思い出せない。
「出てきてない、と思う」
「なんじゃそら。じゃあなんでオレの名前を呼んだんだよ」
「わかんない」
 私の返答にレンはむっつりと不機嫌な顔をした。そんな顔をされても仕方ない。夢の内容は私が決定出来るものじゃないんだから。
「うん、でもね。夢から目が覚めた時に一番最初にレンに会いたいなあって思ったの。だからレンが来てくれた時、びっくりしたけどすごく嬉しかった」
 まるでレンの機嫌をとっているみたいな台詞だけど、実際そうだったのだ。しかしそれでもレンは半信半疑らしく、眉間にしわを寄せたままだ。そんなレンの反応が子供っぽくてあんまり可愛いので、思わず笑った。レンはますます眉間のしわを深くしたが、それに構わず私はその手をとった。そのままぎゅっとしがみつく。
 ああ、幸せだな。そう思った瞬間に、本当に唐突に涙が零れた。
「う、わ、どっ、どうしたんだよ急に!」
「わ、かんな……勝手に、でて、きて」
 ぽろぽろとそれは決壊したように溢れてきて、自分のことなのに混乱する。だけど次第に無性に悲しくなって、それと同時にレンが愛しくてたまらなくなった。するとますます涙が溢れてきて、私はレンにしがみつく手に力を込めると声をあげて泣いた。何なんだよ、とレンは戸惑った声をあげながらも私の頭を優しく撫でながら抱きしめてくれていた。
 目が覚めた時、すぐ傍にレンがいないことがどうしようもなく不安になった。だからレンが現れた時、本当にほっとしたのだ。そして思った。良かった、私はまだ幸せの中に居ると。
 だから今、その存在を確かめるように私は何度もレンの名前を呼んだ。その度にレンは優しく「うん」と返事をしてくれた。幸せを知っていたはずだった。レンが傍にいることが、どれだけ幸せなことなのかを理解していると思っていたのに。
「レン」
「うん」
「心配かけてごめんね」
「うん」
「でも、すぐに来てくれて…ありがとう」
「……おう」
「…………ずっと一緒に居て」
 レンは何も言わずにただ繋いだ手を強く握り返してくれた。それだけで新たな滴が頬を伝う。
 幸せなのに、どうして涙が止まらないのだろう。これはもしかしたら、誰かの涙なのかもしれない。







10.11.25
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