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番外編のようで、でも本編。


fallen dropsの次の日。


 初めて会話を交わした日のことは良く覚えている。文化祭にクラス全員で歌うことになり、放課後に教室で練習をしていた時だった。音楽部だから、というこじつけの理由で私は実行委員長を押しつけられ、部活に行きたい気持ちを我慢しながらクラスメイトに指示を出していた。しかしあの男は、こともあろうに私の目の前を堂々と素通りして教室を出ていこうとしていた。聖母マリアのように慈悲深い(と周りには思われている)私も、これにはさすがに腹が立った。女子に人気があるからって、何でも許されるなんて思わないでほしい。彼を追いかけて廊下に出ると、階段へ向かう彼の鞄を掴んで引きとめた。
「……何」
 何じゃねーよ、と思わず零れそうになった本心をぐっと抑え込む。とびきりの営業スマイルを浮かべて私は言った。
「ミクオ君、クラスのみんなも早く帰りたいの我慢して残ってるんだよ。君も残って練習に参加するべきじゃないのかな?」
 若干棘がある口調になってしまったのは仕方ない。これだけ優しく言ってあげてるだけでも感謝してほしい。彼は鞄を掴んだ私の手をじっと見つめて顔をあげた。そして相変わらずの無表情のまま、突然こんなことを言った。
「初音さん歌上手いよね」
「……は」
「歌のことは素人だけど、初音さんの歌が飛びぬけて上手いのは俺でもわかるよ」
 突然のことに面食らった私は瞬きを繰り返した。突然何を言いだすんだろう、この男は。どこで私の歌を聴いたのかは知らないが、それを彼が覚えているなんてまるで信じられない。そんな人にはとてもじゃないが見えなかった。
 きっと嘘をついているのだ。そんな聞き飽きたようなお世辞で、この場を切り抜けられるとでも思っているのだろうか。
 そう思いながら、私は自分の胸が高鳴るのを感じた。昔から色んな人に、嫌ってほど言われた言葉だ。それなのに、目の前の彼の口から言われると、まるで初めて褒められた時のように新鮮で嬉しい気持ちになるのは何故なんだろう。
 ありがとう、と言おうとして私は口を開いた。しかしそれよりも先に、彼の唇が動いた。
「だけどその胡散臭い気取った喋り方は嫌い」
 私と彼の間に沈黙が落ちた。
 そして気付けば、私は渾身の力で彼を殴り飛ばしていた。




 バス停に向かう道の途中で、よく知っている背中を見つけて私は駆け出した。
「おはようミクオ!」
 そう呼びかければ、ミクオは立ち止まって私の方を振り返る。
「おはよう」
 そっけない態度で挨拶を返しミクオはまた歩き出した。
 女の子が追いかけてきてるんだから、待つぐらいしなさいよね。むっとしながらも、ようやく追いつき、その左隣に並ぶ。
「今日は早起きなんだね。いつもは遅刻ギリギリなのに」
「まあね」
 その時ふと気付いた。ミクオの左頬が、右の頬と比べると明らかに腫れあがっている。
「どうしたの、頬。腫れてるよ」
「別に気にしなくていいよ。殴られただけ」
 彼は何でも無いようにそう言ってのけたが、私はぎょっとして思わず立ち止まりそうになった。
「な、殴られた?」
「そう。グーで思いっきり」
「喧嘩でもしたの?」
「そうかもしんない」
 いまいちはっきりしない返事だ。ミクオの真意を読み取ろうと横から顔を覗き込むが、彼は目も合わせてくれない。いつものように気だるげな表情で前を見ている。どうやらこれ以上左頬のことを訊いても、説明してくれそうになかった。
 いつだってそうだ。ミクオは私に心を覗き込む隙さえ与えてくれない。彼の中に踏み込もうとすると、とっさに強固な壁を作る。そして相手が諦めるまで決してその壁を崩そうとはしない。
 だけど他の人間はそれでやり過ごせても、私はそれくらいで簡単に諦めるような女じゃないのだ。
「当ててあげようか。頬がそんなになっちゃった原因」
 ミクオからの反応は無く、黙々と歩き続けている。なるほど。どこまでも無視するスタンスでいくらしい。構わず私は続けた。
「うーん、そうだなあ。多分…………鏡音さん」
 ミクオの顔色が、少し変わった。
 ビンゴだ。そう確信すると同時にずきんと胸が痛んだ。ほらね、やっぱり。そう自嘲気味に心の中で笑う。
「で、殴ったのはお姉ちゃんの方? 弟の方?」
「……姉の方。よくわかったね」
「女の勘ってやつかな」
 とは言いつつ、ミクオがこんな風に隠したがることならどうせ鏡音さんのことだろうと最初からわかっていたのだ。訊いてもいないことはぺらぺらと喋るくせに、自分の本心は決して話そうとしない。それが彼なりの世渡りの術なのだろう。だけど私はそれが気に入らない。そして、そのミクオの本心に近い場所に、鏡音さんというキーワードが存在していることも。
「殴られるって、一体何したの? しつこく付き纏ったりでもした?」
「無理矢理押し倒した」
 私は今度こそ立ち止まった。ミクオも私の数歩先で立ち止まった。
「……本気で言ってる?」
「本気で言ってる」
「本当に押し倒したの?」
「本当に押し倒した」
「それで殴られたの?」
「ううん。押し倒しても殴られなかった」
 私は息を呑んだ。それで、とは続けられなかった。押し倒しても殴られなかった、てことは、それはつまり。
「それじゃあまさか鏡音さんと」
「キスしようとしたら殴られた」
「…………え?」
 言葉の意味を理解するのに数秒を要した。呆然とした私をミクオは振り返る。
「だからオレは、その鏡音さんにキスしようとして殴られたの」
 良かったね、と言うと彼は再び前を向いて歩き出した。
 私はしばらくぽかんとしてその場に突っ立っていたが、どんどん先に行ってしまうミクオにはっとしてその背中を追う。
「……何それ。ミクオ君カッコ悪」
「知ってるよ」
「それに、良かったねってどういう意味」
「そのまんまの意味だよ。どうせ変な勘違いしてたんだろ」
 ぐっと言葉に詰まる。反論できずにいる私を見て、ミクオは肩を竦めた。
「でしょ。だから良かったねって言ったんだよ」
 急速に顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。恥ずかしいのもあったが、ミクオに自分の心の内をすっかり見透かされているのがどうしようもなく悔しかった。ミクオは自分の心は誰よりも上手く隠す上に、人の心を読むのも誰よりも上手いのだ。
 いつまでもやらっれっぱなしは癪なので、仕返しと言わんばかりに私は噛みつく。
「でも殴られて当然だよ。好きでもない男に唇奪われそうになったらそりゃ殴るでしょ」
「押し倒した時は殴られなかったんだけどね」
「まあ……そこは、謎だけど」
「まったく、アイツの思考回路は理解不能だよ」
 そう言ってミクオは目を細めた。その横顔を見て、私の胸はちくりと痛む。一瞬だけ見えた、言葉とは裏腹な柔らかな表情。ミクオがそんな顔をする時は、どんなに近くにいようと彼の意識の中に私は入っていない。
 ぎり、と拳を握る。私は足を止めて吐き捨てるように言った。
「……やめちゃえば良いのに」
 ミクオが「え?」と振り向く。私ははっきりと繰り返した。
「やめちゃえば良いのに。どうせ振り向いてくれないってわかってるなら、もう諦めちゃえば良いのに」
 自分で言って、涙が込み上げてきた。それでも私は喋ることをやめない。
「キスしようとして殴られたなんて、それってつまりフラれたってことでしょ。どう考えたってミクオの片思いじゃない。それなのにまだ好きなんて馬鹿じゃないの? いつまでもしつこく思ってないで、さっさと諦めれば良いのに」
 一言一言を口にする度、言葉はナイフみたいに私の心を切りつけた。ミクオに告げたつもりの言葉は、そのまま自分に返ってくる。本当にそうだ。いつまでたっても不毛な片思いなんてしてないで、自分のことを目いっぱい愛してくれる誰かと一緒にいれば良いのに。そしたら嫉妬で胸が痛くなることだって、悲しみで潰れそうになることだって無くなるのに。
「……わかってるよ、そんなこと」
 俯いた私の視界の中に、ミクオのスニーカーが映った。顔をあげることが出来ないまま、私はその爪先を見つめる。
「でもそれが出来たら苦労しないってこと、ミクだって知ってるでしょ」
 ミクオの言葉に、堪え切れずにぽろりと涙が零れた。
 知ってるよ。そんなこと嫌ってほど知ってる。どうしてこいつじゃなきゃダメなんだろうってうんざりするほど考えた。だけど結局答えはいつも同じ場所に辿り着くのだ。
「ミクオって、ほんと……最低……っ」
「はいはいそうですね」
「どうして……っう、……私も、こんなやつが良いんだろ……」
「本当にね。俺も不思議だよ」
 ぽん、とミクオの掌が私の頭に乗った。それくらいで私が機嫌を直すとでも思ったのか。ミクオの手を振り払おうとして、でも結局は勿体無くてやっぱりやめた。本当に私って現金な人間だ。そしてミクオはそれも全部わかった上でやっている。この男の思惑通りに進んでいることが、ますます私を不愉快にさせた。
 それでも私はこの性格の悪い、捻くれた、万年片思いのミクオのことがいまだに納得できないけど好きだった。
 自分でも信じられない。あの、初音ミクがこんな男を好きで、だけど相手にもされてないなんて。
「ちくしょう、あほ、しね、ミクオ。とっとともう立ち直れないくらいにフラれてしまえ」
 ミクオの前で無防備に泣いたのが恥ずかしくて、悔し紛れにそれでも泣きじゃくりながら私は毒づく。「わかったわかった」と子供をあやすような口調でミクオが言う。
「二度とそんなすかした面出来ないくらいに酷いフラれ方をして、ぼろ雑巾になっちゃうくらい泣いちゃえ」
「そうなるかもね」
「そしたら、」
「うん」
「そしたら私が傍にいてあげるよ」
 それがいつになるかはわからないけど、もしかしたらその日は来ないかもしれないけど、それでも言わずには、伝えられずにはいられなかった。
「ぼろ雑巾みたいになって見捨てられたミクオでも、私は優しいからずーっと傍にいてあげる」
 ねえミクオ、信じられないかもしれないけど、君が思っている以上に私はミクオのことが好きだよ。ミクオのために前みたいな気取った喋り方もやめたし、周りにやたら媚を売るのも、男の子を都合良く利用したりするのも、今はもうやってない。唯一褒めてくれた歌だって毎日頑張って練習してるよ。なのに、こんなに可愛くて、完璧で、一途な女の子がすぐ傍にいるってのに、目もくれないなんて本当に馬鹿じゃないの。

 でも、そんなやつのことを馬鹿みたいに思っている私も、はたから見れば同じくらいに大馬鹿なんだろう。

 ミクオはふっと小さく苦笑した。それは初めて私に向けられた、ミクオの心からの表情だった。
「馬鹿だなあホント。……お前も、オレも」
 うるさい。知ってるよ。






10.05.15
ミクがいて良かったね、ミクオ。と書きながら本気で思った。
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