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中学3年生、夏。


 夏の太陽は沈むのが遅い。もう時計の針は8時過ぎを指していたが、地平線にしつこくしがみついた夕日は焦がすように街を照らしている。赤い光線はもう消えかけだというのに、腹が立つほどに眩しく鮮やかな色だった。オレは家の前に突っ立って、じわじわと地平線に食われていく太陽を眺めていた。太陽が完全にその姿を消した後も、悪あがきのような残照は雲を赤く染めている。「さっさと消えちまえ」オレは吐き捨てる。この行為に何の意味も無いことはわかっている。どんなに罵ろうと太陽は一定の決められた(誰が?)スピードで落ちていくし、太陽が沈んで夜が来るのもオレが望んだからってわけじゃない。それでも言わずにはいられないのは、多分オレもみっともない悪あがきをしたいからだろう。西の空が藍色に飲み込まれてしまうのを確認する前に、ゆっくりと家のドアを開けた。
 ただいま、と帰宅したことを告げて靴を脱いでいると、家の奥からぱたぱたと走り寄ってくる音が聞こえてきた。この慌ただしい走り方はリンだろうと思いながらオレは振り向いたが、予想を裏切りそれは母さんだった。普段はこんな風に玄関まで出迎えたりはしない。母さんの慌てた様子にオレはどうしたのだろうと首を傾げた。
「ねえレン、リン見なかった?」
「リン? 見てないよ。どうかしたの?」
「……喧嘩しちゃったの」
 母さんは気まずそうにうろうろと視線を彷徨わせた後に小さく呟いた。
「それで家を飛び出しちゃって……」
 オレは思いがけない言葉に驚いて目を瞬かせた。喧嘩? あんなに仲が良い母さんとリンが?
 信じられない、という表情をしていたのだろう、オレの顔を見て母さんは苦笑した。
「なによそんなに驚いちゃって。リンだってレンと同じ思春期なんだから、反抗期だって迎えるわよ」
「いや、それはわかってるけど……でも今までリンと母さんが喧嘩なんてしたこと無かったじゃん」
「あら、最近はちょこちょこしてるわよ。レン気付かなかった?」
 知らなかった。リンだってそんなこと一言も言わなかったし。
 黙り込んだオレを見て母さんは少し眉尻を下げ、それでね、と言葉を続けた。
「今が8時だから……出て行ったのは3時間前ぐらいかな。私もすぐ戻ってくるだろうと思ってたから、追いかけなかったんだけどね。ほら、日が長いとはいえもうすぐ暗くなるし、女の子じゃない。そろそろ心配になってきて……連絡取ろうにも、あの子携帯電話持ってないからどうしようかと思ってたの」
「友達の家は? そこにいるかもよ」
「あちこち電話したけど、どこにも来てないっていうのよ。だからもしかしてレンと一緒に帰ってくるんじゃないかと思ったんだけど、レンは見てないんでしょう?」
 オレが頷くと、母さんは「ああどうしよう」とますますうろたえた。オレは苦笑いを浮かべて小さく溜息をつくと、鞄を玄関先に下ろした。
「母さん、携帯電話貸して」
「え?」
「オレが探してくる。母さんはリンから電話かかってくるかもしれないから家で待ってて。見つけたらオレも電話するから」
「でも、男の子とはいえレンも中学生だし、1人じゃ危ないわよ」
「オレなら大丈夫だから」
「それでも……」
 なおもためらう母さんに、オレは「心配性だなあ」と笑う。
「リンの行く場所は限られてるし、すぐに見つけられるって。アイツのことだから、きっと引っ込みがつかなくて帰るに帰れないんだよ。今頃迎えが来るのを待ってるだろうから早く迎えに行ってやんないと」
 母さんは胸の前でぎゅっと拳を握りしめてしばらく迷っていたが、最後には溜息をついて、エプロンのポケットから携帯を取り出した。「お願いね」と言って携帯電話を渡す母さんに頷くと、脱ぎかけた靴を再び履いてから立ち上がる。
「レン、1人で物騒な所に入っちゃ駄目よ。それから10時までには絶対に帰ってくること。良いわね」
「わかったよ、ちゃんと守るから。それじゃあ行ってくる」
「……レン」
 まだあるのか、とオレはいささか母さんの過保護っぷりに呆れながら、玄関のドアノブに手をかけたまま振り返る。
「なに?」
「――――ごめんね」
 それがオレに面倒をかけたことに対する謝罪でないことは、目を見れば分かった。ただ悲しげな色を浮かべた瞳からはそれ以上何も汲み取ることは出来ない。ごめんね? 何に対して謝っているんだ?
 すうっと体が冷たくなるような感覚に襲われる。
 ドアノブを握りしめる手にぎゅっと力を込めた。
「いいよ、これくらい。いつものことだろ」
 精一杯動揺を隠して笑う。母さんは答えない。ほんのちょっと目を細めただけだった。
 オレはドアを開けた。生ぬるい風は湿気を孕んでいて、もうすぐ雨が降るな、とオレは思った。




 リンが行く所ならたいがいオレも一緒に行くので大体の見当はつく。だからすぐに見つかるだろうと思っていたのだが、実際はなかなか見つからなかった。一度学校に戻ってみたがリンの姿は無く、ゲームセンターや、リンの好きな店も一通り見て回ったが、どこにもいない。学校か繁華街にいるはずだとたかをくくっていたオレは、半ば途方に暮れることとなり、繁華街の人混みの真ん中で立ちつくしていた。辺りはすっかり暗くなっている。一向に見つかる気配の無いリンに、焦燥だけが募る。
「どこにいるんだよ、アイツ……」
 その時ふと思い付いた場所があった。可能性は低いが、オレが知っているリンの行きそうな場所は、もうそこしか残っていない。そこが駄目なら、あれだけ自信満々な態度をとってしまった母さんには悪いがお手上げだ。オレは半分祈るような気持ちで、踵を返した。
 それはオレたちの家から歩いて20分くらいの所にある小さな公園だった。高台にある景観の良い静かな場所で、小さい頃はリンとよくそこで遊んだものだった。流石にこの年にもなると公園で遊ぶことも無くなったので、そこに行くのは実に数年ぶりのことだった。
 公園へ向かう途中、数人の同級生とすれ違った。リンのことを尋ねたが、皆一様に知らないと頭をふると、挨拶もそこそこに急いだ様子で立ち去っていく。どうやら塾や家庭教師の時間があるらしい。数ヵ月後に控えた高校受験のことを考えれば、それも仕方のないことだった。
 俺たちは今年で15歳になる。高校はリンと同じ高校を受験することになっている。それは互いに相談したわけでも、だからといって一切秘密にし合ったわけでも無く、何となく、自然な流れでいつの間にか決まっていた。「レンと志望校が一緒なら、あたしもやる気が出る」とリンも嬉しそうに言っていた。今はオレも特別にやりたいことが見つかっているわけじゃないし、オレとリンの成績や、家から学校までの距離を考えれば何ら不自然な点の無い選択だとは思う。そう、ただそれだけだ。何もおかしくない、深く考えるまでもない、それだけの話。それなのにオレは一体何を迷っているのだろう。

 嘘だろう、本当はわかってるくせに。

 夜の闇の中から声が聞こえる。それを振り払うように歩くスピードを速めるが、声はどこまでも追いかけてくる。

 お前は怖いんだ。リンの傍にいることが。だけど離れる勇気もなくていつまでも言い訳をしているだけなんだ。

 オレはリンと離れるべきかを迷っているんだろうか。しかしその考えはすぐさま否定する。別にオレたちは無理に一緒にいようとしているわけじゃないんだ。だから無理に離れる必要だって無い。無いはずなのに、リンの傍にいることに後ろめたさを覚えてしまうのも間違いない事実だった。
 足が鉛のように重たくなっていく。生ぬるい空気が体にまとわりついて気持ち悪い。声を振り切るように、息を切らせながら坂道を上る。数十メートル先に小さな明かりが見えたところで、オレはようやく走るのを止めた。声はもう聞こえてこない。息を切らせて振り返れば、夏の闇はいつものように黙りこくったままぼんやりと漂っているだけだった。
 リン、と小さく片割れの名前を呼んだ。ひどく心細かった。無性にリンに会いたかった。
 汗を拭いながら坂を上りきり、呼吸を整えつつ周りを見渡した。そこには懐かしい景色が広がっていた。ペンキがはげた遊具たち、小さな砂場。点々と灯っている街の明かりも変わらず見下ろせる。そしてその景色の中にずっと探していた存在を見つけると、オレはようやく安堵の溜息をついた。
 リンは公園にある唯一の街灯にぼんやりと照らされながら、1人俯いてブランコに腰かけていた。トレードマークのリボンはしょんぼりと項垂れているようにも見える。その後ろ姿がなんだか母親に怒られた小学生みたいで、思わず笑ってしまった。それと同時に、こんな風にいつまでたっても子供みたいなリンを見てなぜかほっとしてもいた。
「リン」
 ぴょこんと白いリボンが揺れ、リンが振り向いた。その顔にゆっくりと驚きが広がっていく。
「なんで」
 小さな声がオレの耳に届いた。オレはわざと茶化すような口調で言う。
「ははは、ここなら見つからないとでも思ったか。残念だったなあ、リン」
「だ、だって……だってずっと来てなかったし……何でわかったの?」
「リンの行きそうな所ぐらいわかるっての。何年一緒にいると思ってんだよ」
 そして一瞬ためらった後に、一言付け加える。
「オレたち双子だろ」
 言った後にじく、と胸が痛む。自分で言った言葉に傷付くなんてどこまで自虐的なんだオレは。そんな自分を笑ってみせようと思ったのに、胸の痛みに頬が引きつって上手く笑えない。畜生、何だってんだ本当。
「リンは何してんだよ、こんな所で」
「なんとなく星を見たくなって」
「星?」
 まさかそんな返事が返ってくるとは思わなかったので、思わず訊き返す。
「それはまた……いきなりだな。それにしたって星ならどこでも見れるだろ。なんでわざわざここまで来たんだよ」
「ただの星じゃないよ。夏の大三角形を見ようと思ったの」
「夏の大三角形と、この公園がどう関係してるんだ?」
 オレは当たり前の疑問を口にしたつもりだったが、リンは大いに不満げに「えーっ」と声をあげた。
「レン覚えてないの? 小学生の時に理科の授業で夏の大三角形のことを習って、2人でここまで星を見に来たじゃん」
 えっ、と声が漏れた。その瞬間、記憶のふたがぱっと開かれたように、次々と映像が頭に流れ込んできた。ベガ、デネブ、アルタイル。手を繋ぎ息を切らせ、声を潜めながら上った坂道。星座が書かれた教科書を懐中電灯で照らしながら、2人で見上げた夜空。それは、どうして忘れていたのだろうと不思議になるほどに、幸せな記憶だった。
「……確かにあったな、そんなこと」
「そんなことって酷いなあ。あれはあたしの中の大冒険ベストスリーに入るのに」
 オレの反応が不服だったらしく、リンは唇を尖らせる。
「ごめんごめん。ああでも、そうだ、段々思い出してきた。確かその後に真夜中にこっそり家を抜け出したことが母さんにバレて」
「うん。ものすごく怒られた。あんなに怖いお母さん見たの後にも先にもあれきりだよね。あの時は本当に怖すぎて死んじゃうかと思った」
 言葉とは裏腹に、リンはとても楽しそうに笑っていた。その笑顔につられてオレも笑う。あの母さんは確かに怖かった。でも、その後に泣きながらオレたちを抱きしめてくれたのもちゃんと覚えている。リンも口には出さないが、きっと覚えているはずだ。
「だからね」
「うん」
「急にそのことが懐かしくなっちゃって、来てみたの。見えるかなあ、と思って」
 そう言ってリンは空を見上げた。
「でも見えないや」
 確かに真っ暗な空には、星も月も見えなかった。湿った風が夜空を見上げるオレたちの間を吹き抜けていく。
「残念だけど、多分今日は見えないと思うぞ」
「そっか」
 残念。
 リンは呟いて再び地面に視線を落とした。そしてゆっくりとブランコをこいだ。ブランコは揺れるたびに、キイ、キイ、という錆びついた音を立て、その音だけが辺りに響いた。まるで泣き声に聞こえるそれは、懐かしい思い出で満たされていたオレの心を、不安で波立たせた。
 オレは言った。
「帰ろう。リン」
 キイ、
 と。
 ブランコが止まった。
 リンは一瞬の空白の後に、「やだ」と一言答えた。
「嫌じゃない。母さんも心配してるぞ」
「いいもん別に。お母さんなんて嫌い」
 母さんから聞いていたとはいえ、やはり2人が喧嘩したのは間違いないようだった。あのリンからこんな言葉を聞ける日が来るとは、にわかに信じられない事実だ。これは相当酷い喧嘩をしたらしい。
「リンが母さんにそこまで怒るなんてよっぽどのことだな。一体何が原因だよ?」
「だってお母さんが……!」
 リンは声を荒げたが、すぐにはっとしたように口をつぐんだ。しばらく黙った後にのろのろと言う。
「やっぱりいい」
「なんだよ、気になるだろ。それともオレにはわかんないような話?」
 リンはふるふると首を横に振った。
「じゃあ教えてくれたっていいじゃん」
 リンは答えない。俯いたまま、小さくブランコを揺らし続けている。オレもそれ以上聞きだすのは諦めて、黙ってリンの頭のリボンを見下ろしていた。
 昔はいつも不器用なリンの代わりにオレが結んでいたが、いつの間にかリンは自分でリボンを結ぶようになった。初めのうちは不格好だったリボンも、最近は少しずつ上手に結べるようになっている。そのことに言いようのない不安を感じるのは、多分オレが臆病だからだ。
 オレは多分怖いのだろう。変わってしまうことが。オレはまだ何もわかっていないのに、急速に変わっていく世界が怖くて仕方ない。そして変わっているのはリンも同じだった。
 リンの変化にふと気付いた瞬間、それがどんなに些細なことであろうとオレは置き去りにされたような気持ちになる。例えば、互いの部屋を行き来することが少なくなった。以前は毎日のようにどちらかの部屋で宿題をしたり、学校で起こったことを話したりするのが当たり前だった。しかし最近は、せいぜい週に2、3回訪れるくらいで、あまり長居もしない。家での口数も、ほんの少しだけ減った。
 それと、夜中まで誰かと電話で話をしている声が聞こえるようになった。ぼんやりと遠くを見つめる横顔が違う女の子みたいに見える。大人っぽく笑うことがたまにある。それから好きな、

 好きな人が出来たと言った。

 今日はたくさん話せたと嬉しそうに語るリンはオレの知らない人みたいで、その時間は好きじゃない。だけどリンの顔を見ると何も言えなくなって、オレはただこの時間が早く終わることを願いながら機械的に相槌を打つしかない。
 こんな風に感じるのは、最初は単純に寂しいからだろうと考えていた。自他共に認めるほどに仲のいい双子ならば、これくらい普通のことだと、そう思っていた。だけど時間が経つにつれ、輪郭の曖昧だった感情は、次第にはっきりとした形を成していった。真っ黒で、心臓のように脈打つその感情はお世辞にも美しいとは言えない、酷く醜い形をしている。これが家族愛の一言で済むような感情ではないということはわかっていた。そして、双子の姉に対して抱くには異常なものだということも。
 ごめんね、と言った母さんの顔が浮かんで消えた。あの時、母さんがそう言った後にオレはとっさに口走りそうになった。「オレの方こそ、ごめん」と。
 あんな顔をさせてしまう原因は、間違いなくオレたち――――いや、オレにある。だけどそれを認めてしまうのが怖くて、わざとわからないふりをして誤魔化した。増していく罪悪感に心はどんどん重たくなるばかりだ。
 いつまでこんなことを繰り返せば良いのだろう。
 行き場の無い感情は憂鬱に変わり消えることは無い。一番正しい選択も分かっているのに、それを選ぶ勇気も拒否する勇気も無い。
「……レン」
 普段とはまるで違う、かすれて弱々しいリンの声でオレは現実に引き戻される。相変わらず表情はうかがえなかったが、ブランコはいつの間にか止まっていた。
「レンは……」
「うん」
「レンは、リンと一緒にいるのやだ?」

――――お前は怖いんだ。リンの傍にいることが。

 オレの心を読んだかのような言葉に、息を呑んだ。ゆっくりと顔をあげてオレを見つめるリンの瞳は、不安で揺れていた。オレはリンに動揺を悟られまいと、ごまかすように笑いながら努めて明るく答えた。
「ばーか、んなわけねーじゃん。嫌いだった迎えになんてこねーよ」
「それじゃあ、ずっと一緒にいてくれるよね」
「……何だよいきなり。それより早く帰らないと――――」
「いいから答えて!」
 びりびりと空気を震わせるような悲痛な声でリンは怒鳴った。
 ブランコのチェーンを握りしめていた細い指が、すがるようにオレのシャツを掴む。
「ねえ、お願い、答えてよ……! レンはずっと一緒にいてくれるよね。そうだよね」
 オレは何か答えようとして、でも言葉が見つからずにただ石のように固まることしか出来なかった。
 簡単なことだ。頷けば良い。ただ頷いて、当たり前だろって笑えば、きっとリンも笑ってくれる。そうしたら立ち上がって「帰ろう」と言ってくれる。そう思うのに、オレは頷くことも肯定の言葉を言うことも出来なかった。リンの瞳の中に映る自分は、ぐにゃりと奇妙に歪んでいる。そして囁いてくる。

――――お前は怖いんだ。

 ぐらりと地面が揺れるような感覚がした。蛍光灯の眩しさに、めまいがする。
 オレは黙ってシャツを掴んだリンの指に手を添えた。ゆっくりとしゃがんで覗き込むように目線を合わせる。
 リンの頬を透明な滴が音もなく伝い、ぽたりと地面に吸い込まれていった。後から後から溢れてくるそれを、リンは拭おうともしない。
「リンは、リンはずっとレンと一緒にいたいよ。レンが嫌だって思っても離れたくない。それにレンはリンと一緒にいても良いって言ったよね? だからずっと一緒にいるって、今までみたいに傍にいるって今すぐ約束してよ。それで一生、約束守ってよ。約束破ったら怒るからね、あたしは」
 言葉を遮るようにオレはリンの体を引き寄せた。ブランコががしゃんと、甲高い叫び声をあげる。きつく抱きしめると腕の中の体は一瞬強張り、そしてゆっくりと脱力していく。
「……レン」
「リン」
「レン。レン。……レン、レン、レン……っ」
「リン……」
 シャツの胸元にぽたぽたと落ちてくる滴は熱を持っているのに、急速に冷たくなっていく。それはオレの心臓の位置にとめどなく落ちて、冷たくなっていくと同時にオレの心にぽっかりと穴を空けていく。ぽたりぽたりと落ちる度にそれはどんどん広がっていく。その穴の中には“あの”真っ黒な何かがうごめいていて、それにどんな名前をつければ良いのか今のオレにはまだわからなかった。レン、とリンが切なげに声をあげる度に、リンの声は穴の中にわんわんと響き、黒い渦の中に飲み込まれていくのだ。
 ぽたり、と頬に水が落ちた。雨だ、とオレはぼんやり思った。ブラックホールみたいに真っ黒な夜空には、月はおろか彼女の好きな星さえ見えない。リンの背中にまわした腕は間違っているのだろうか。一体今のオレたちはどちらにすがりついているのだろう。






10.05.02
星は何処に消えた。

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